加藤泰一氏は京都市北区に工房を構え、三代に渡り青磁をベースに創作する陶芸作家です。
祖父は初代加藤渓山です。初代加藤渓山は南宋時代の青磁を研究し、砧青磁に取り組み、渓山特有の青磁を創作いたしました。
加藤泰一氏の父加藤実氏は初代加藤渓山からの薫陶を受けて、青磁作家として活動され、小説家有吉佐和子の小説「青い壷」の主人公牧田省造のモデルともなっています。
青磁は紀元前14世紀頃の中国「殷」を起源として、後漢、唐、宋、元、清と時代が下がっても中国で創作されて来ました。10~11世紀には宋から朝鮮半島にもたらされ、「高麗青磁」としても創作されました。日本には平安時代後期に中国から「唐物」としてもたらされ、日本で初めて青磁が創作されたのは九州伊万里で1630年頃とされています。
本家の中国では1960年代の文化大革命で従来からある文化・芸術などは否定され、このため青磁創作の技術は途絶えてしまいました。日本では17世紀から青磁創作が始まりましたが、現在に至るまで永々と青磁創作が研鑽され、その結果、日本の青磁は今や世界で最高品質とされています。
加藤泰一氏は同志社大学卒業後、京都府立陶工職業訓練校成形科で陶器成形と磁器成形を学び、京都市工業試験場研修コースで釉薬研修を行った後、イタリアのファエンツア国立陶芸専修校IPAMマヨルカ科でマヨルカ焼も学びました。この様に、加藤泰一氏は国内での作陶技術のみならず、イタリア・ルネッサンス期に発祥した錫釉陶器のマヨルカ焼をも習得した国際的な視点を持つ陶芸作家です。
陶芸作家には独自の斬新性を求めるあまり、従来にない新しい成形を試みる方もおられます。加藤泰一氏は成形については、古くから伝承されて来たものを中心としています。形は古典的な成形ですが、器の表現に独自の風情を出しています。
それは、京焼・清水焼が京都の地において、求められ育まれて来た創作技術を背景とします。京都 京の都は1100年の長きにわたり宮廷、貴族の求め、庇護の元に優れた工芸品が作られ続けて来ました。
それらの京都の工芸品は単に華麗だけではなく、その用途向きにも最適である様に作られています。
工芸品は手仕事で作られます。
京都の工芸品は優れた技術を持つ京都の職人の手仕事により、1100年支えられて来ました。京焼の焼物は軽くて薄くて丈夫で、それでいて華麗な形に仕上がっています。
加藤家は京都で三代に渡り、京都の優れた手仕事の一端を担って来ました。加藤泰一氏は京都の優れた手仕事を背景に、青磁・白磁の世界で、成形は古典的でありながら独自の新たな表現を目指しています。
加藤泰一 轆轤成形
加藤泰一 打ち込み成形
加藤泰一 吹き付け